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感想~

2009/05/31 15:01
昨日の感想いきまーっす!

まず今秋、新国立劇場で上演される『ヘンリー六世』(三部作で10時間にもなるんですって!!)の演出家の方の挨拶で「シェークスピアがいなければ、今日のような機会もないですし、ジョン・ケアードさんという演出家も生まれなかったかもしれないですし・・・」というようなお話を聞いて
ケアード氏がいなければ、『ベガーズ・オペラ』は無かったかもしれないし、そうなると私は観劇好きになってなかったかもしれない訳で・・・びっくり なんだか凄いつながり(?)を感じてしまいました。

すごーく長いんで、追記にしました;
シェークスピアは男性も女性も公平に描くことのできる稀有な作家だということから始まり、それから、セリフの特徴へ~
シェークスピアが生きていたころの舞台には舞台装置がまったくなかったそうです。そのため、シェークスピア作品はセリフによって場面の説明をしている。だから今日シェークスピア作品を上演するときには、精巧なセットを作ってしまってはいけない。観客が考える必要がなくなってしまって、セリフを聞かなくなってしまうから。
と聞いてシェークスピア作品をよんでもあまり面白いと感じられなかったのは、場面を思い浮かべずに読んでいたからなんだと発見!

多くの作品にみられるつながり
『夏の夜の夢』は『ロミオとジュリエット』の後に書かれたもので、もしロミオとジュリエットが駆け落ちしたらどうなるか・・・を考えて書かれたものではないか、「ロミオとジュリエットもそうすればよかったじゃないか」という皮肉もこめられているのでは? 他にも「このキャラクターはあのキャラクターの下書きではないか?」と感じさせる部分も多い。
作品が書かれた順を追って読んでみたら、凄く面白いだろうな・・・。

時間や、設定の矛盾について
『夏の夜の夢』を例にとると、妖精たちは蛇の抜け殻を身に纏い、どんぐりの中に隠れられるくらい小さいはずなのに、妖精の女王ティターニアはロバの頭をかぶせられた人間の男に(花の汁によって)恋をして、身の回りの世話をする。場面によって都合のいいように、妖精のサイズが変わってしまっている。それに、時間の流れもよく分析してみるとおかしい。『十二夜』を例にすると、実際は3晩しか経っていない。しかも最後のほうでは「3ヶ月が過ぎた」というようなセリフがある。
それなのに観客は納得してしまうのは、シェークスピアの想像力の凄さだ。

本当に、気づかなかった・・・; 今の小説で、こんなにガタガタ(失礼!)だったら絶対に評価されないはずだよね。凄いっ。

セリフ回しのポイント
↑でもあったようにシェークスピアのセリフは場面を説明するものなので、あまりに感情を込め過ぎると場面が伝わってこないし、逆にゆっくりと場面を思い浮かべながら話すと感情が伝わらない上に時間がかかり過ぎる。
麻実れいさんが3通り実演してくださって、とても解り易かったです!!
また、動きの有無、あるいはつけ方によっても伝わり方がまったく違う。
これはチョウ・ソンハさんが動かない・本番どおり・コミカルにとやっぱり3通りやって下さって・・・もう感激!!

最後に質疑応答の時間があって、「どんなひとが素晴らしい役者になれますか?」という質問に答えて、パック役の役者が挨拶をして、またパックに戻るという場面にちなんでのお話。
稽古をしているうちにだんだんと役者とキャラクターの境目がはっきりしなくなっていって、ある日完全にそのキャラクターに変わるんだそうです。そのあとはなにをやっても、演じていないときでも、役者さんはそのキャラクターそのものなんだそうです。
公演が終わって、他の役を演じるようになった後もそのキャラクターは役者さんの側にいて、話題に上ったりした際には瞬時に現れるとのこと。
ただただ、「凄い!」と圧倒されるばかりでした。。。


とても貴重な体験になりました。
テストも終わったし、当分はシェークスピア作品三昧だろうな(笑)



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